1989年6月4日、中華人民共和国で起こった天安門事件の直後、天安門広場に通ずる長安大街の路上で戦車車列の行く手を遮る一人の男がテレビで放送され、話題となった。
天安門事件の翌日(6月5日)、天安門前の10車線道路で、彼は事件を鎮圧するために現れた59式戦車の車列の前に立ち、行く手を遮った。
戦車は何度も彼を回避するために横に迂回しようとするが、その都度彼は戦車の前に立ちふさがり侵入を防いだ。
しばらくそれを繰り返した後、彼は戦車に飛び乗って中の兵士となんらかの話をした。
それを見ていた他の市民が彼を群衆の中に引き戻し、戦車は再び走り出した。
無名の反逆者は誰か?
被写体の男性の素性は、謎に包まれている。
氏名不詳のため、「無名の反逆者」(英: Unknown Rebel)、「戦車男」(英: Tank Man)などのニックネームで呼ばれている。
当時の学生指導者の吾爾開希(ウーアルカイシ)や王丹、中国の知識人にさえ、彼のことを知る者が存在しない。
その場にたまたま居合わせた普通の中国人の若者の1人ではないかと言われている。
買い物袋を持っていることから、計画していたわけではなく、たまたま見た戦車の車列に正義感から立ち向かったのではないかという憶測もある。
イギリスのタブロイド紙『サンデー・タイムズ』は事件直後、この人物はWang Weilin(王維林)という19歳の学生であると報じた。
国家の秩序転覆を図ったという名目で起訴された可能性があると言われている。
彼のその後については、「すぐに処刑された」「刑務所の中で精神に異常を来した」「出所して台湾で暮らしている」
などの諸説があるが、いまだに行方がわかっていない。
中国政府の回答
1990年の記者会見で、アメリカ合衆国のジャーナリスト、バーバラ・ウォルターズから「中国の自由の象徴というべき、あの男はどうなったのか?」という質問に対し、中国共産党中央委員会総書記江沢民は「死んではいないと思うが…」と言葉を濁しただけに留まった。
この回答が彼の運命を暗に示していると考えられている。
天安門事件では、多くの抗議活動をしていた学生たちを特定して、処罰したと言われている。