現在の広島高速交通・アストラムライン伴中央駅付近で1991年3月14日、鋼鉄製の橋桁が10m下の道路に落下する事故が発生した。
橋桁の大きさは長さ63m、幅1.7m、厚さ2m、重さ60tという巨大なものである。事故の原因は人為的なミス。
並行する県道下り線を赤信号で停車していた乗用車など11台を直撃し、作業員5人と乗用車に乗車していた9人の計14人が死亡、9人が重軽傷を負った(重傷1名は後に事故による死亡と認定)。
60tの橋桁の直撃を受けた乗用車の中には、高さ50cmほどにまで圧縮されたものもあり、また火災によって炎に包まれたものもあった。
事故のおよそ2時間後に被害者らは救出されたが、9人の死者の全員がほぼ即死の状態であった。
事故の後、地元にある噂が立った…
事故の起きた場所はかつて墓地だった。
モノレール工事は墓を動かして進められていたものだったということを、地元住民はよく知っていた。
その動かされた墓に入っていた人数と、犠牲となった死亡者の人数がピッタリ一致していると言う。
男女の人数も一致するほか、享年も亡くなった方々とピッタリと合致しているらしい。
そのため地元ではお墓を動かしたタタリではないかという噂が立った。
こんな話もある。
その時間帯、いつもなら幼稚園のバスがここを通るはずだった。
しかし園児の誰かが「おしっこしたい。どうしてもしたい」と言うのでほんのすこしの時間バスを止めることになった。
そのわずかな時間差で事故に遭わずに済んだものの、おしっこしたいと言ってバスを止めた幼稚園児を誰一人としてはっきりとは思い出せなかった。
なんとか1人の園児の名前が上がったが、その子はその日、風邪で休んでいた園児だった。
一体、バスは誰の声で止まったのだろうか。
悲惨な事故から20年以上が経ち、現場にひっそりと佇む慰霊碑だけが事故の名残を残している。